( ログアウト /  >(第一回)http://blogs.yahoo.co.jp/kazuukkk/14337394.html                  射程100mmで甲冑に確実にダメージを与え、射手の訓練が容易ですが連射に劣るマスケットとは確実性は低いものの状況によっては絶対に劣るとはいえません。  正確ではないかもしれませんが昔の標準的な戦闘用の弓の威力は所謂「一人張り」として25〜30kg程度と考えられるのかもしれません。  とはいえ戦闘に於ける死傷者の多くは飛び道具によるものでした。 「弓道教本」(第一巻)(全日本弓道連盟) ( ログアウト /   ライフル(銃)と後装式が一般化するまでは戦術によっては弓箭でも有る程度対抗する事も出来たといえるかもしれません。 その1http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20120430/1335773078  斬撃では鉄の甲冑を切る事は出来ません。乱戦などの近接戦闘において甲冑で守られていない部分に攻撃を仕掛ける事が殆どで、それ以外は相手の打物を受けたり打撃を与える位の役割です。台などで固定した甲冑にベストな斬撃を加えた場合には幾らかは「切れる」かもしれませんが、動いている人間を切るのはそれとは異なります。 ( ログアウト /  4と同じで直線的な狙いの場合はいいが、的(まと)が上方や下方にある場合はどうか。, 6.短弓は膠で素材を合成するから十分な張力が確保できる。日本は湿気が強いから膠がはがれやすく、十分な張力が維持できないから必然的に長弓になる。  弓箭からマスケットの時代においても弱点を補うために「鑓衾」等の棹状武器との組み合わせ戦術が取り入れられていたのは必然でしょう。 後谷遺跡(縄文時代後期から晩期。埼玉県桶川市) 木で作った弓(赤漆や黒漆を塗った飾り弓が3点、針葉樹を素材にした丸木弓が11点) 弓そのものは以上のごとく、千数百年前の多くの伝世品が現存し、それが現在 使用されている長弓(2.21m)とほとんど大差がなく、また上長下短の形で使用されたこ とも同じである。」 変更 ), Google アカウントを使ってコメントしています。  絶対的な貫通力は銃のほうが勝り、矢箭は木の盾でも充分に殺傷力を抑えられますので確実な威力としては劣るでしょう、ジャイロ回転しないマスケットも竹束等で防御は可能ですから戦闘力の絶対的な違いはそれ程の差ではないともいえます。 下宅部遺跡(縄文時代後期・晩期。東京都東村山市) 丸木弓・飾り弓(丸木弓30点、飾り弓11点)  どの時代でも「例外」といえる個人は存在しますが一般化するものではありません。  重い鏃の箭だとある程度の殺傷能力があります、それに対し小さな銃弾の場合は曲射だと威力は低いでしょう。  ここでは距離はわかり難いですが一般的な和弓の射場は28m(近的)とされています。 是川遺跡(縄文時代晩期。青森県八戸市) 弓(丸木弓5点、仲居遺跡の特殊泥炭層からの出土の飾り弓)  東アジアの人々とは互角かもしれないが、動物性タンパク質が主食の人は体格、筋力とも勝っているのでは。, >単に手軽に手に入った木材が不均等なもので、その使い勝手がよかったのが始まりではないだろうか。  一方マスケットは火縄式にしろフリントロック式にしろ火薬を包装し装填を容易にした早合を用いても1分間に3発の発射が限界通常の装填だと1分3発で早合を用いると7発程度まで、弓箭のばあいは1分間に6射から12射までが可能。例えば100mを越える距離で弾幕をはる場合には弓箭の方が有利なのでしょう。  紅葉山33号遺跡(続縄文時代<2000年ほど前>。北海道石狩市) 飾り弓1点        春日大社には六十八張りの長弓が現存するが、平均の長さは六尺九寸(2.09m )である。  弓の場合は弦を人力で引いたまま狙わなければならないので強弓といえども50〜60kg位が限度でしょう。          世界で威力の強い弓としては「トルコ弓」「モンゴル弓」という木と牛等の動物の腱や骨・角を組み合わせて作る複合素材の短弓が知られます。        一般的な現代の弓道で用いる和弓の場合成人男性用の標準的なもので20kg程度の弓力(引く力=矢箭に与えられる力)の様です。 >http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/kyuba.html (森 俊男。筑波大学。日本武道学会。正倉院及び大山祇神社所蔵弓の比較から見た弓具・射術の変化に関する研究), これらの見解では最長、最小、平均の値は出ているが、弓の長さの分布図ないし各弓の具体的長さの記述がないので何とも論じられないが、一応、講学上で言う長弓ばかりなので日本の弓は長弓というのもあながち失当とはいえない。, 鳥浜貝塚(縄文時代草創期・早期・前期。福井県若狭町) 弓、小型弓(弓は大きさによって通常のサイズのものと小型弓に分けることができ、通常のものは、狩猟用と装飾の施された儀式用のものがあります。小型弓は発火ないし穿孔に用いたと考えられます。重要文化財に指定されたのは丸木弓15点あり、うち2点が漆塗り。)  マスケットの話でも書いたように「投射兵器(飛び道具)の威力」を考える場合には「距離」と「当たり方」といった各論としての現実の威力を一般的な例なのか特殊な条件の例外的なのかを検討しなければ意味がありません。  日本の弓箭は平安中期までは丸木弓と呼ばれる単体の木材を用いた物であったようです。  最大8割以上が投射兵器に拠るものだとの推計もあります。 5.長弓は的中率が高く、遠くまで矢が届く。 4と同じで直線的な狙いの場合はいいが、的(まと)が上方や下方にある場合はどうか。 6.短弓は膠で素材を合成するから十分な張力が確保できる。 現在、世界で長弓を使用しているのは日本のほかは南太平洋、南米の民族だそうで、ブラジル原住民の長弓は写真で見ると長さは射手の1.5倍ほどあり、長弓の下端(本弭<もとはず>と言うか)を台地に固定し、的の位置によって握り位置を変えて矢を放っているような感じだ。これなんか身の丈に合った弓かははなはだ疑問だ。「アジアにおける長弓の起源に関する考察として、太平洋周辺の長大な弓の分布はオーストロネシア語族の拡散域と重なり(オーストロネシア語族は千前後の言語から構成され、西はマダガスカル島から東はイースター島まで、北は台湾・ハワイから南はニュージーランドまでと非常に広く分布している)」と言うが、実物は不明。子供は短弓を使っているような感じだ。但し、長弓を120cm以上とするなら長弓にも見える。しかし、200cm以上の本格的な長弓は世界的に見ても日本だけかと思われる。, 日本の弓が長くなった理由としては、いろいろな人が諸説を発表しているが、主なものとしては以下のごとしである。, 1.「日本の弓ばかりが『握り』を中央から下に取ってまで、その不便を忍んだことは、その長大の尊厳を捨てるに忍びなかったことが、一つの大きな理由になっている。」 >http://blogs.yahoo.co.jp/ryuzoudou/37208648.html  水平に撃ち、投射物の速度と重さのエネルギー量・推進力で貫通させる「直射」と、斜め上に撃ち投射物を放物運動で的に当てる「曲射」です。(物理的な「運動」としては同じ)曲射は主として遠距離射撃に用います。  弓箭の直射は音速前後の銃弾に比べ速度は遅いもののそれなりの高速(最速250km/h程度らしい)で、鋼鉄の鋭利な鏃と質量による威力は侮れないでしょう。  曲射の場合は重く鋭い鏃を用いるそうですが近距離からの直射に比べれば貫通力は劣ります。 世界の弓を使っている人の様子を見ても、アフリカの人は長身で長弓を使って、弓のやや上の方を握って矢を放っているようだ。また、南米の方では小柄な人が短弓をもって弓の中央を握り矢を放っているようだ。要するに、制御不能な弓などは使用しないと言うことだ。しかるに、我が国の場合は、一説(九州大学総合研究博物館。但し、各説1cm前後の違いあり)によれば、 渡来系弥生人・・・163cm(男)151cm(女) 大上段に構え古色蒼然とした見解で、現代にあってかような意見を吐くとは時代錯誤も甚だしいと言わなければならない。, 2.長弓により弓の破損防止を図った。 また、正倉院現存の長弓二十七張りの長さは七尺九寸(2.4m)である。  銃でも書きましたが投射兵器の場合は飛距離について撃ち方によって大きく変わる部分があります。  現代でも「武勇伝」というのは相当「盛った話」であるのは常識です。  その3  http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20120512/1336752249 しかし、弓の長さはまちまちで以下のような見解もある。  では弓箭は甲冑に対し、どの程度の効果があるものなのでしょう。  ヨーロッパ中世後期の「騎士」のプレート−アーマーも極端に動き難いものではなく比較的軽い鋼を用い重量の負荷を分散させる事で充分に自由な活動が可能です。  真っ直ぐ打てないと貫通力は低く、箭は空気抵抗が有りますから弓力がそのまま射程の延長には繋がらないでしょう。  誤解があるかもしれませんが銃器以前の戦闘でも死傷の多くは投射兵器によるものでした。  現代のアーチェリー競技では20〜25kgの弓で最大90mの距離まで的を狙います。 このサイトはNHN Japanとイメージエポックが共同開発を進めているオンラインシミュレーションRPG シュヴァリエサーガタクティクス-ChevalierSagaTacticsの情報共有用Wikiです。  上にも書いた通り大鎧は弓箭に対しての防御力を狙って作られています。 青田遺跡(縄文時代晩期。新潟県新発田市) 丸木弓 > 22年ぶりの弓日記 フライパンw                          現代でも「弓道」として射形にも拘る修養的な側面だけではなく武芸としての威力にも目を向ける和弓の形も一部では残っています。 変更 ).  城郭の一般化や弓の性能の進歩や戦術の変化で南北朝時代からは弓射歩兵が多用され騎兵は突撃を行う打撃斬撃で戦闘を行う打物騎兵に変化します。最終的な戦いの決定力を持つのは打物を用いる騎兵突撃の場合もありました。  特に「一騎打ち」の場合には「大袖」を「盾」として用いる事で一定の防御力を持つとされます。 (タイトル変更しました)(「投射兵器」にするか「投射武器」か「武具」にすべきか…) (日本武道全集第三巻、日本弓術、馬術史より抜粋、とある), 「正倉院に弓は梓弓3張、槻弓24張が伝わる。  鉄板(鋼板?)の詳細がよくわかりませんが0.8mm、1mm、1.2mmの物が用意され、固定すれば比較的射抜けるようですが固定せず、ぶら下げると厳しいようです。腕前によるようで貫通については確実性は高くは無いようです。 短弓・長弓 のバックアップソース(No.4) . 前半はいいとしても、後半は武器として弓を使う場合敵がいつも直線的な位置にいたかどうか。, 5.長弓は的中率が高く、遠くまで矢が届く。  ある時期には大太刀や長刀が幅を利かせますが打刀等の「日本刀」は乱戦や首獲り等に用いるサイドアームズ(補助武具)の役割です。   |      和弓の飛距離が実戦用の征矢で200m程度まで軽い鏃で400mと考えられている(勿論曲射でしょう)のに対しこれらの弓は威力の有る重い鏃で400m、軽い鏃だと600mにも達するようです。 (「○人張り」は弓道での弓用語としては異なった用法もあります)  「護身用」の筈の「剣術」が武士一般の嗜みになったのは近世の平和な江戸時代の事です。(幕末のテロリズムでは「活用」されましたが) 正倉院所蔵15張の弓の平均は205.9cm,最長は222cm,最小は182cmである。, 大山祇神社所蔵9張の弓では,平均236.3cm,最長241cm,最小234cmである。」  戦場では鑓や矛・薙刀といった棹状打物の方がより重要な役割を持ちます。 >第二回 http://blogs.yahoo.co.jp/kazuukkk/31688255.html   また、当時の日本人の体格は周辺諸国、ヨーロッパと比べて変わりなく筋力が劣ると言うこともない。  「飛び道具とは卑怯なり」は平和な江戸時代の武士の本業とはいえない私闘レベルの話でしょう。研鑽としての剣術や身分表象「二本差し」から肥大化した倒錯です。                                                         >第三回 http://blogs.yahoo.co.jp/kazuukkk/34674027.html   甲冑を着ていても近距離だと射ち抜かれる事は常識でした。  その4 http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20120514/1336946951 >弓道のすすめ 弓道座談会 堅物射http://ecoecoman.com/kyudo/bbs200906itm/2008031123281094.html 縄文人・・・158cm(男)148cm(女)  猟銃の威力と用途 http://d.hatena.ne.jp/settu-jp/20121106, *1:追記:これは飾りの鍬形・前立等や錣(しころ)・吹き返しといった部分を除いた重さです。総重量だと2.5kg迄。, settu-jpさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog 変更 ), Facebook アカウントを使ってコメントしています。 中屋サワ遺跡(縄文時代晩期。石川県金沢市) 白木弓・飾り弓(多数) バックアップ一覧; 差分 を表示; 現在との差分 を表示; 現在との差分 - Visual を表示; バックアップ を表示; 短弓・長弓 へ行く。. こういう意見は弓の発祥とは関係がないのではないか。何でも神がかりにしたがるようだ。, 4.強い弓を引くには、筋力の無い日本人には限界がある。だから、長弓で直線的な狙いで射る。 在来系弥生人・・・159cm(男)148cm(女)  日本の甲冑としてはたしか防御力が高く丈夫で知られた明珍冑で厚さは2mm程度です、鉢の重さは1.5kg迄、(それ以上は重い)*1。一般に南蛮胴であっても甲はもっと薄いでしょう。標準的なプレートメイルで1.2mmまでだそうです。強度は上のフライパンと同程度とされます。鋼と皮の小札を重ねて作る日本の古典的な大鎧でもそれほど大きくは変わらないでしょう。  そのようなご見解もあるいは正解かもしれません。, >鎧が出始めると、鎧を貫く力が必要になり、弓が大型化したと思われる。 登呂遺跡(弥生時代後期。静岡県静岡市駿河区) 丸木弓(まるきゆみ)数本(長弓系の弓もある), ほかにも多数あろうかと思われるが縄文時代のものは短弓、弥生時代のものは長弓の傾向にあるようである。飾り弓あるいは漆塗り弓などはレガリアないし権威の象徴、儀式用となっていたようで、その他の弓は生活用具(狩猟用や漁労用)として使われていたと思われる。武器としての使用は定かではないが、2世紀から3世紀にかけての弥生時代後期に鏃(やじり)がそれまでの石鏃から鉄鏃に代わったようである。国内的にはその頃が一番紛争が多かったようで、環濠集落や高地性集落などが出現し、水利権や余剰生産物をめぐっての抗争や戦争が絶えなかったようである。遺跡によっては首のない遺体や石鏃、鉄鏃が刺さったままで検出される遺体もある。, 「弓道ーその歴史と技法」(松尾牧則、日本武道館出版)P52によれば「初期には大陸系の短弓が使用され、のちに短弓と東南アジア系の長弓が入り交じって使用され、四、五世紀頃(古墳時代)には長弓が使用されていたというのが、一般的な考え方となっている」と言うが本当か。日本には東南アジアから直接に文物が入ってきたと言うことはあまりなく、よしんば東南アジア系の長弓が入ってきたとしても中国(東夷、即ち、山東省や江蘇省など)経由ではなかったか。長弓は弥生時代に入ってきたようなので、稲とともに弥生人によってもたらされたと考えるのが一般的ではないか。その弓の出現も長江河口付近で長弓となったのは水田を荒らす動物(その中に人間も含まれるかもしれませんが)を威力のある武器で撃退しようとしたのではないか。その長弓が東南アジアと日本(当時は倭)に稲とともに伝わったのではないか。もっとも、稲の原産地については長江下流域とする説、東南アジアとする説がある。稲の伝播としては東南アジアから長江下流域、そして日本へと伝わってきたと言う説もあり、弓と稲が不離不即の関係にあるのならば長弓の起源は東南アジアにあるのかもしれない。しかし、日本で主に栽培されている「ジャポニカ種の可能性の高い種については中国長江流域で約1万年前に栽培されていることから、ここが起源であるとの可能性が高くなっている」という。いずれにせよ、日本の稲は長江下流域からもたらされたものであり、長弓も中国から入ってきたものではないか。縄文時代の短弓は矢を番える際は、矢を(身体から見て)弓の右側に番え、取り掛けは右手親指根で弦を引っ掛けるようにして保持する『蒙古式(モンゴル式))』を採るので、短弓はモンゴルから来たのではないかという説もあるが、はっきりとはしていない。弓は構造が簡単なのでどこにでもあるとされ、日本の短弓は日本で発明されたと言う説も根強い。当時の日本の動物で大型と言えばイノシシ、クマ、シカなどで複数の人で弓を速射すれば事足りたのではないか。  伝説的な源為朝の「五人張り」は現実的ではありませんが強弓としては「三人張り」まで有った様です。現実的には30×3の90kgではなく二人張り以上という事で60kg以上とした方が正しいだろうと考えます。 単に手軽に手に入った木材が不均等なもので、その使い勝手がよかったのが始まりではないだろうか。 弓箭の有効射程の外から装甲兵が突撃する場合約100mとして歩兵だと20秒程、騎兵の場合は10秒程度でしょうか、その間プレッシャーと恐怖の中で射手が打撃を与えないと蹂躙されるという事でしょう。  古代には主流であった手盾は甲冑の進歩により役割が下がります。多くの場合両手持ち武器を用いた方がメリットが有るとされたようです。  希望的観測や思い込みをはっきりしない伝説的な「お話」から「昔の人は凄かった(筈)」だとかいった前提にして人体には構造上不可能で人間業ではない英雄譚を検証せずに用いるのは現実的ではありません。                  軍用としては「重籐弓」と呼ばれる籐で巻き漆で強化した物が知られます。複合弓の接着剤は膠(煮皮?)と呼ばれる魚の「ニベ」の浮き袋(時には鹿の皮等もか?)から煮出されるゼラチン等の素材が用いられたようです。             我が国には縄文時代から弓矢はあったらしく、土器と弓矢が縄文の二大発明、と言う見解もある。具体的には、福井県若狭町にある鳥浜貝塚(とりはまかいづか・縄文時代草創期・早期・前期の遺跡)で、飾り弓、丸木弓(棒材の両端を尖らせただけのもので、尖棒と弓とが混在して判定不明という)、小型弓(穿孔用具か。弓錐<ゆみぎり>錐の柄に弓の弦を巻き付けて弓を前後に往復させて錐を回転させる)が発掘されているという。弓は、一応、80cm~120cmの短弓とされる。言わば、縄文人は身の丈に合った弓を使っていたようだ。しかるに、「魏志倭人伝」によると”兵用矛楯木弓 木弓短下長上”とあって、弥生人は自分の身長を超えるような長弓を使っていたらしく、弓の中央あたりを握ると弓の下の方が地面に支えて制御不能となるので弓の下の方を握っていたらしい。それもこれも、弥生人は無批判に大陸の弓を導入したらしく、小柄な縄文系倭人が使用法を変えて使っていたのだろう。もっとも、短弓の使用は西アジア方面の乾燥地に多く、長弓は東アジアの湿潤地に多いという意見もある。日本も東アジアにあるので長弓が入ってきたと言えばそれまでだが、縄文時代にはほとんどなかった戦争が弥生人がやって来たとたんに始まった、と言うのも、弥生人が日本に来てありがたかったのか、はたまた、迷惑だったのか、一考を要するところだ。  これは射手が動揺すると威力の落ちる弓箭は不利で、適切な手順で発射すれば安定している銃が勝る部分です。              「出土品や正倉院の弓,文献に記録のある弓の長さを調べると,同様に短い弓,中くらいの長さの弓,長大な弓のグループに分類できた。短い弓は,祭祀遺物と共伴する頻度が高く,非実用弓と考えられる。長大な弓は,中世の弓との近縁関係から考えても戦闘弓と判断できる。・・・問題は中くらいの長さの弓の評価である。出土する地域が東北地方に偏り,アイヌの弓に近い長さであることから,蝦夷系の弓である可能性が高い。ただし関東以西の非長弓に関しては,狩猟・漁撈のための生活弓の可能性もある。 」(岡安 光彦)と。これを要約すれば、日本には長弓、短弓のほか中弓とも言うべき弓もあり、用途に応じて使用していたという。長弓ばかりが日本の弓ではないと言いたいようだ。また、本弓、半弓、本半弓、短弓(箱弓)と分類する人もいる。, 国内の古社などには奈良時代以前の弓が保存されているらしいが、専門家でもなかなか実物を見ることができないようである。保存している著名な神社等としては、正倉院、春日大社、大山祇神社などがある。同じ弓(群)のことを言っているのであろうが数値はまちまちでご容赦いただき、以下、書籍、インターネットの引用をしてみる。, 「正倉院には現在27張りの弓が保存されているが、それらをみると材質はアズサ、ケヤキ材で長さはさまざまであるが、7尺2寸(2.18メートル)くらいのものがもっとも多い。現代の日本弓が7尺3寸(2.21メートル)であることを考えれば、このころより日本の弓は長弓の傾向を示し定着したといえる。」 変更 ), Twitter アカウントを使ってコメントしています。 (日本大百科全書(ニッポニカ)、入江康平), 「正倉院の弓は「東大寺献物帳」によれば、「御弓壱佰張」とあり、ほかに別式 三張があり、その内、長弓101張の平均の長さは七尺六分(2.14m)である。  逆に甲冑は完全に「安全」であるのではなく、ある程度の距離での安全性、射程内ではリスクを下げ、ある意味では反撃までの時間稼ぎを行う目的と運動性や重さによる体力の消耗やコストとのバランスによって作られている。そう考えるべきかもしれません。  高温多湿の地域は膠には不向き、と言う見解もある。, >当時の日本人の体格は周辺諸国、ヨーロッパと比べて変わりなく筋力が劣ると言うこともない。  検証可能な範囲で弓箭の威力について考えてみます。  弓箭の有効射程の外から装甲兵が突撃する場合約100mとして歩兵だと20秒程、騎兵の場合は10秒程度でしょうか、その間プレッシャーと恐怖の中で射手が打撃を与えないと蹂躙されるという事でしょう。 と言うことで、遺跡から発掘される縄文時代の弓の長さは1.2m~1.6mくらいとされ、弥生時代のそれは2.0m~2.3mという。これを見ても、縄文時代の弓の長さは身長・体格と均衡のとれたものであるが、弥生時代になると弓の長さが急に長くなったようだ。これを換言すれば、縄文時代の弓は日本のオリジナル(モンゴル等からの由来ではない)であり、弥生時代の弓は大陸伝来のものと言うことになり、弓にも縄文文化と弥生文化の違いが現れているようだ。世界的には身の丈に合った弓を使っているのに、日本だけが長弓というのは何かおかしいような気がする。ちなみに、朝鮮半島は片箭、角弓という弓があり、片箭は中国の弩を改良したもの、角弓は短弓で高句麗・モンゴルの騎馬民族がもたらしたものと言うことだそうです。また、中国の東夷については、周代以前の「夷」とは現在の江蘇省や山東省周辺を言い、「三国志」東夷伝では主に朝鮮半島と日本列島を指すようである。従って、日本に長弓をもってやって来たのは江蘇省(現在の南京や上海あたり)や山東省(現在の青島あたり)からやって来た人たちか。いずれにせよ「稲」に結びつく地域であり、稲と長弓をもって日本にやって来て、本国での戦争の延長かすぐに「いくさ」を始めたらしい。とは言え、争いの多かったところは現在の九州北部や山口県で縄文文化の長かった東日本では武器と考えられる長弓が出現するのは弥生時代末期あたりのようである。  別の実験の動画です。  重いチェインメイル(鎖帷子)やスケイルアーマー(ユーラシア中〜西部の鱗形等)、ラメラーアーマー(日本の小札や中国圏中央アジア北欧等)の類、ヨーロッパのプレートアーマー等様々な形式が存在しますが 「完全な防御力」が有るわけでもないでしょう。   和弓と同じく長弓で強弓として知られるイングランドの「ロングボウ」も45kgから伝説的なものでも70kg程度のものです。  日本の弓は世界でも珍しい2mを超える長弓で有りながら彎弓の形態を持ち、独特な複合弓の構造と上下非対称なデザインを持つ美しく機能的にも優れたものです。  一応こんな風に考える事が出来るのではないでしょうか。  この例から見ると通常より強い30kg以上の弓を用いるとされているのかもしれません。 ( ログアウト /   その時代の甲冑も主として弓射戦を想定した大鎧形式の物です。  よく知られた写真が有ります。フライパン(鋼鉄製)を和弓で打ち抜いたものです。 1 (2012-07-03 (火) 01:19:03)  中世初期から戦国時代までの日本でも少なくとも半数以上の戦死者は弓箭や投石によるものだったようです。