第30回【朝倉義景を討て】 【A】甘藷 Copyright 2020 BELCY All Rights Reserved. 平安時代の美人の顔の条件はどのようなものだったのでしょうか。昔と現代では美人の基準は大きく違いますよね。女性はいつの時代も美しくありたい思うものですよ。 平安時代の美人がやっていた化粧や有名な史実上の人物も紹介していきますので、参考にしてみてください。 そんなに早く終了すると悲しいです( ; ; ), ママ友との会話で旦那が工場勤務とか土方は嫌だよね〜って話題になりました。そのママ友には言っていないのですが旦那が土方仕事をしています。 でもいわゆる雑用はやっぱり庶民たちがそれなりの格好(服装)をして行なっていたのでしょうか? Handmade calendar Prepare for next year's calendar production. #広田屋 #ひな人形 #雛人形
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#konosu, A post shared by 広田屋-HIROTAYA- (@dollhirotaya) on Nov 8, 2018 at 2:07am PST, 平安時代の美人の基準と条件の1つ目は、一重で切れ長な目です。平安時代の浮世絵に描かれている写真のような顔です。一重で切れ長な目が特徴ですよね。それが平安時代の当時の理想だといわれていました。平安時代は細い線のような目が好まれており、美人な女性=一重で切れ長な目を持つとされていたようです。, 現代とは、美人の目の基準や条件が全く違いますね。現代は二重でくりっとした目が好まれているため、化粧をして少しでも目を大きく見せようとする女性がほとんどです。また、目の整形する女性も多いですよね。しかし、平安時代の美人の基準は顔のつくりよりも肌の白さや肉付きの良さが重視されていたと言われています。, 羽子板 匠一好 15号 おしどり モスグリーン (羽子板立てに変更も可能) 夫婦仲の良いことの象徴とされ、とても縁起の良い鳥として愛されているおしどりを刺繍を施した、とても綺麗な羽子板です。 #人形のだいご#だいご#山口市#山口#お雛様#ひな人形#おしゃれ#女の子#羽子板#破魔弓#匠一好#かわいい#豪華#綺麗#お正月#お正月飾り#初正月#初節句, A post shared by 人形のだいご 雛人形・五月人形・盆提灯 (@ningyounodaigo) on Nov 6, 2018 at 8:37pm PST, 平安時代の美人の基準と条件の2つ目は、小ぶりでツンと尖った鼻先とおちょぼ口です。鼻先がツンと尖った鼻が気品がある鼻だと好まれており、美人に求められる鼻だと言われていました。鼻先がツンと尖った鼻が小さく控えめでおしとやかな印象を与え、人気があったようです。鼻っ柱の強そうな鼻は好まれなかったようです。, また、平安時代では小さめのおちょぼ口も好まれていたようです。平安時代の女性が描写される絵を見ると、唇の中央部分に口紅を塗る女性が多いですよね。控えめに口紅を塗っていて、唇全体に口紅を塗っている女性は登場しません。そういった自己主張をし過ぎない控えめな女性が、美人の条件であると考えられていたようです。, *あいあい 雪うさぎ・桃色*  外はあいにく雨模様☔️ あったかいお茶でも淹れてゆっくりしたいですね。  #ふらここ#furacoco#雛人形#五月人形#ひな祭り#お雛様#赤ちゃん#女の子#女の子ママ#男の子ママ#お人形#マタニティ#赤ちゃんのいる生活#お祝い, A post shared by 人形工房ふらここ-雛人形 五月人形- (@furacoco_official) on Nov 5, 2018 at 8:37pm PST, 平安時代の美人の基準と条件の4つ目は、色白でふっくらとした顔です。ふっくらとした顔の中でも、頬の下の部分が膨らんでいる頬をしもぶくれといいます。これが平安美人の条件であるとされていました。つまり、おたふくのような肉付きの良い頬が平安美人の条件とされていたということですね。現代では理解しがたいですね。, また、ぽっちゃり体型も好まれていました。平安時代に描かれていた絵画を見ると、ぽっちゃり体型でふくよかな体つきをした女性がほとんどです。平安時代は食べ物が豊かな時代ではなかったため、栄養が摂れていて、元気な子供を産んでくれる女性が好まれたようです。よって、ガリガリの女性は美人とは認められませんでした。, ふくよかな女性が好まれていたというのも、現代の女性からすると考えにくいですよね。現代では、痩せている方が美しいというイメージがあり、ダイエットをする女性も多いですよね。これは、現代人が食べ物に困る生活ではないということも大きく影響していますね。, 平安時代の美人の条件の4つ目は、長くて鮮やかなきれいな黒髪です。長い黒髪のロングヘアーの女性が、美女の条件とされていたようです。平安時代の絵画を見ても、長くてきれいな黒髪の女性は多く見られますよね。また、ほとんどの女性が身の丈ほどの髪の長さがあり、髪の毛を切るのは出家したときだけだったそうです。, 黒髪のさらさらなロングヘアーは、夜に月明りの下でキレイに見えていたといわれています。女性の長い黒髪は、男性みんなを虜にする効果があったようです。現代でも、さらさらな黒髪のロングヘアーを好む男性も多いですよね。今も昔も変わらない女性の魅力と言えますね。ちなみに、洗髪は、米のとぎ汁で行っていたそうです。, 平安時代の美人の条件の5つ目は、奥ゆかしく控えめな性格と教養があることです。平安時代の女性は控えめであることが美人の条件でした。控えめな性格という美人の条件は、外見の雰囲気にも現れるものですよね。教養があるポイントとしては和歌の上手さがとても重要で、人間性や情緒の豊かさをはかる基準になっていました。, また、平安時代の美人女性の条件に占める割合の中では、教養があるということがとても高かったようです。自慢話などの話が好きな女性もいますが、そういう女性は品がないと言われていました。平安時代では情緒ある奥ゆかしい女性が美人の条件とされていたことが分かりますね。現代にも通じる美人な人の条件と同じですよね。, 平安時代の女性は、御簾(みす)と呼ばれるきめの細かいすだれ越しに話をしていました。なので家族以外の人間に容姿を見せる風習がありませんでした。よって、会話の上手さや知識の豊富さなども教養がある女性のポイントとされていました。最後に、美人顔の条件に関する記事を載せておきますので、参考にしてみてください。, A post shared by aya-syuintyomatome (@ayasyuintyomatome) on Nov 4, 2018 at 12:42am PDT, 平安時代の美人有名人の一人目は、小野小町です。小野小町は、世界三大美女の一人ですよね。楊貴妃、クレオパトラとともに並べられています。また、日本を代表する美女で歌人でもあります。百人一首にも小野小町の歌が使われていますよね。また、小町集という歌集もあって、有名な古今和歌集にも多くの歌が残されています。, 平安時代の恋愛は、まず男女で歌のやりとりを何度もします。その後に男性の夜這いを許すというのが一般的だったそうです。小野小町はトップ歌人ですのでモテますよね。また、そのモテっぷりをまた歌にして、そのモテ具合をブランドにしていたため、貫禄、気品、高嶺の雰囲気全開でモテオーラ溢れまくりだったようです。, A post shared by Hakutaka (@kazukohakutaka) on Oct 29, 2018 at 6:51am PDT, 平安時代の美人有名人2人目は、紫式部です。紫式部が美人と言われている理由は、2つあります。平安時代の権力者だった藤原道長に、とても可愛がられていたという話が残っているからというのが1つです。このことから、紫式部は平安時代の美人の条件の1つである奥ゆかしく控えめな性格の持ち主であったと想像できますね。, また、紫式部はあの有名な「源氏物語」を書いた人で有名ですよね。これが紫式部が美人と言われている理由の2つ目です。恋愛小説の決定版とも言える「源氏物語」を書いたことが教養も持ち備えた人物ということです。よって、紫式部は美人の条件の中でも大切な教養と奥ゆかしく控えめな性格を兼ね備えている女性といえます。, 平安時代の美人有名人三人目は、清少納言です。清少納言は名随筆として名高い「枕草子」を書いた女性です。清少納言の実家は文学的にとても恵まれた家で、父親や祖父も有名な歌人でした。こうした家族のもと、清少納言は高い教育を受けていたと言われています。そのことからも教養力の高い女性だということが分かりますね。, ちなみに、清少納言という名前は、「清=清原家出身」「少納言=身内に少納言という位の者がいた」という意味があるそうです。最後に、戦国時代の日本の美女の条件についての記事も載せておきますので、参考にしてみてください。評判だった姫ランキングもあり、おもしろいですよ。, 本日の美しい太夫姿のお客様‼️(^。^) #京都花魁体験#着物#きもの#和装#艶#華やか#日本舞踊#舞妓体験#かんざし#簪#日本髪#白粉#化粧#紅#茶道#華道#黒髪#京都#帯#豪華#芸妓#芸者#扇子#花簪#邦楽#三味線, A post shared by Hiroko Kimura (@mnk.kimune) on Oct 23, 2018 at 3:04pm PDT, 平安時代の美人顔の昔の化粧方法の1つは、白粉です。平安時代は、昼間でも建物内が暗かったようで、その暗い建物の中でも目立つような化粧が求められていたようです。ですので、平安時代の女性はおしろい(白粉)と呼ばれる極度に白い化粧をしていたと言われています。, 現代では、舞台俳優が舞台化粧で使用したり、芸者や舞妓が化粧に使用したりしています。また、ファンデーションの肌に対する負担を低減させる目的で、白粉だけを使用したベースメイクをする人も多いようです。現代でもあらゆる場面で白粉は使われていますね。, 平安時代の美人顔の昔の化粧方法の2つ目は、引眉です。引眉とは、まず、元々の眉毛を抜いたり剃ったりして失くします。その後に元の位置よりも高いところに横長の円の形をした眉毛を描きます。これが引眉の化粧方法です。上記の写真のような眉毛の形から、麻呂(まろ)などともいわれています。, 平安時代では、宮殿は壮大化により暗く、装飾衣服も華麗でした。ですので男女ともに眉を抜き露出部を白粉で塗りつぶして、引眉にしていたそうです。最近では、このような麻呂の眉毛は流行りではないですよね。時代によって眉毛の形の流行りもあるようです。また、眉毛は顔のイメージを大きく変えるものなので大切ですよね。, ボードゲーム(#board_game)3 歌川(三代)豊国 十六むさしの内 はりさし 文久元年(1861)年11月 丸髷を結い、眉毛を剃り、お歯黒をしていて、子供のいる既婚女性であることが判ります。黒襟の上着は裏梅の小紋で、町家のお内儀風です。眉毛の剃り跡があるので、最近子供を持ったのかもしれません。その子のために小布を縫いながら、針に頭の油を付けている様子です。こま絵にも、物差、糸、小布などが描かれており、いずれも、「はりさし」に合わせた情景です。 典型的な母の針仕事を写した作品です。背景の紺色が落ち着いた雰囲気を醸し出しています。 #市民の浮世絵美術館#長野浮世絵研究会#長野県カルチャーセンター#浮世絵に聞く#浮世絵#錦絵#江戸#三代豊国#十六むさし#針刺し#日本髪#丸髷#眉剃り#お歯黒#ukiyoe#nishikie#woodblockprint#Edo#Toyokuni#Harisashi#Pincushion#Nihongam#Ohaguro, A post shared by 長野浮世絵研究会 (@nagano.ukiyoe) on Sep 10, 2018 at 4:46am PDT, 平安時代の美人顔の昔の化粧方法3つ目は、お歯黒です。お歯黒は、歯を黒く染める化粧方法だそうです。平安時代にお歯黒をする理由としては、漆黒が美しい色とみなされていたからだとされています。また、平安時代の基本的な化粧は、なまめかしいものが好まれていたようですね。, 現代では、キレイな白い歯を目指す方がほとんどですよね。ホワイトニングなども人気になっていて、歯にお金をかける人も少なくありません。特に芸能人は歯が命ともいわれていますよね。また、歯が黒くくすんでいる人の印象は逆に悪いので、歯を黒く染める化粧をする人はいないですね。, プリンターの一人言 !! ●商品やサービスを紹介いたします記事の内容は、必ずしもそれらの効能・効果を保証するものではございません。. みなさんいかがでしたでしょうか? 【B】甘蔗 JavaScriptが無効です。ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてください。JavaScriptを有効にするには, 平安時代の下働きさんは・・・。 平安時代の下働きさんは・・・。 平安時代の朝廷や貴族のお屋敷で下働きのようなお仕事を担っていた人たちは、やっぱり庶民ですか?ある程度位の高い貴族や天皇の身の回りのお世話をする人はきっと貴族や良家の家柄の人ですよね? 旦那は私の顔を上の中と言います。だったら上の上がいたら私は捨て... ゴートゥーイート 11月中に終了する可能性高いですか?キャンペーンに気付いてなくて最近予約し始めたので ある程度位の高い貴族や天皇の身の回りのお世話をする人はきっと貴族や良家の家柄の人ですよね? Please come visit HIROTAYA and Enjoy the world of hina-dolls! 平安時代の美人の顔の条件はどのようなものだったのでしょうか。昔と現代では美人の基準は大きく違いますよね。女性はいつの時代も美しくありたい思うものですよ。 平安時代の美人がやっていた化粧や有名な史実上の人物も紹介していきますので、参考にしてみてください。, 【広田屋-HIROTAYA】 ひな人形の町、埼玉県鴻巣市のひな人形屋【広田屋】 ひとつとして同じ顔のない手作りひな人形をお楽しみください。 広田屋に是非お越しください! Konosu City, in Saitama,  is known as "the town of hina dolls" All the hina-dolls have different face as they are handmade. 駒ちゃんと義昭の、、、 ads.yahoo.comからget-user-id.jsを開くかまたは保存しますか?このメッセージの意味が分かりません。 平安時代の普段の暮らしは立場によって全く異なっていました。 貴族たちは1日3時間ほど仕事をした後、和歌を詠んだり、舟遊びをしたり、そして蹴鞠をしたりするなど本当にゆったりした生活を送っていました。 もし参戦していないとすれば、何故ですか?, 琉球国王の呼び方として、御主加那志前と首里天加那志がありますが、どのように使い分けるのですか?また二通りの呼び方があるのは何故ですか?, 『麒麟がくる』で幕府は織田VS朝倉の戦には関与しないのに、 世間のイメージとはそういうものなのでしょうか?, MSNを閲覧すると下記のメッセージが出ます。 先日、息子が彼女にプロポーズして、相手両親に挨拶に行きました。彼女は一人娘で、彼女の父親から、氏名だけでも彼女の姓を名乗ってもらえないかと言われたと息子より相談の連絡がありました。まだしっかりと話はしていないので、息子の考えや彼女の考えもわかりませんが、いずれこのような相談があるだろうと私自身前... ホットペッパーのGotoイート終了予告が出ましたが、今から今月の残り日数全てに予約を入れてもポイントは入りますか?ほぼ毎日キャンペーンを利用しているのですが、先ほど予約受付の終了予告が出ました。 !Can I rest for a while with the last print today? 結婚したことを後悔しています。私と結婚した理由を旦那に聞いてみました。そしたら旦那が「顔がタイプだった。スタイルもドンピシャだった。あと性格も好み。」との事です。 平安時代は、禁中 (天皇の住空間 ・内裏)・院中 (上皇の住空間) でその一部空間で 「房」 (部屋) を頂けた 高位の女官。又、貴族のお住まいでお仕事をする女性。これに当たるのが赤染衛門さんで道長 【D】菜種, 豊臣秀吉の子孫はいないですか?秀吉の親戚まで拡大した場合、秀吉の子孫と称しても問題ない人は今の時代にいますか?. 平安時代の朝廷や貴族のお屋敷で下働きのようなお仕事を担っていた人たちは、やっぱり庶民ですか? 十兵衛さんも幕府に失望しただろうしな・・・。 It takes time to print the photo of 8 color printer. そこには締め切り前の予約は対象とありますが、仮に今月の残り全てに予約を入れた場合、それらも500ー1000ポイン... 私ファッションに疎いのですが、ユニクロとコラボしているジルサンダーというブランドはすごいブランドなのですか?朝からすごい行列をつくっていたようですが。, https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1219388247, http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E5%A9%A2. 工藤重矩『源氏物語の結婚』を読んで衝撃を受けました。そこで平安時代の結婚をテーマに、平安文学のいくつかを読み直し、日本史について多少学び直して分かったことを書き残しています。, 今後調べて増補・修正しながら、仕事のネタ元としていきたいなと思っています。 なお、ここで対象としている時代は平安中期です。10世期から11世期半ばくらいまで。要するに摂関政治の時代です。, 摂関政治が盛んだった時代、上位の貴族、すなわち公卿に該当するのは藤原北家と臣籍降下した源氏がほとんどでした。これらの人々はそれぞれがスーパーヒーローですので、彼らにおける一般的な恋愛の結婚について言語化するというのも、平均的なアメリカ大統領のあり方を語るというのと同じくらい乱暴なことだとは思います。ですが、そうは言っても何とか言葉にしないと中高生にはつたわりませんので、やってみます。基本は男の子視点です。, 彼ら公卿の家に生まれる男の子は、生まれると両親または母親の家で育てられます。両親が同居している場合でも、育てるのは母親とその両親でした。そして7歳くらいになりますと父親が認知する儀式が行われまして、そこで初めて公的に「この子は誰々の息子である」という認定が示されることになります。 その後は10歳くらいまで、実家に住みながらも宮中で過ごす時間も与えられたようです。子ども時代に宮中で時間を過ごすのは童殿上と呼ばれ、公卿や殿上人に顔貌、立ち居振る舞いや教養の度合いなどを見せる機会にもなっていました。 その後12、3才くらいになりますと、成人の儀式が行われ、宮中での仕事を与えられます。「初冠」とも呼ばれます。その時に与えられる位は「従五位下」。公卿の子どもは現代の中学生くらいの年齢で、一人前の貴族の仲間入りしたんですね。ここまで父親は育児に関わりませんから、父親が偉くてラッキー♪となるのはこの時です。「あなたのお父様は偉い方なのですから、あなたもお父様のようになるためにはたくさん勉強しましょうね」とか言われて、実感も無いままがんばんべえやと生きてきた少年が、ここで初めて父親パワーを感じるわけです。ちょいと下のやつらが喉から手が出るほど欲しい「殿上人」という立場。その立場に、こないだまでガキだった自分がいる。それはもう、身が震えるほどの感動と緊張だったことでしょう。公卿の家に生まれるものと、それ以外。この差はデカい。その差は、時代が変わらなければ挽回が不可能なほどでした。 ちなみに藤原道長縁故の者は、不思議パワーで一つ上の「従五位上」からスタートしました。不思議パワーって不思議。, さて男は成人し、宮中での立場と仕事を与えられると「社会人」となります。ここからは昇進を重ねながら情報を集め、また自分自身も売り出しつつ、十代後半には結婚します。女性の仕事は衣食住の取り仕切り。いつまでも親の援助を受けて衣服の調達をしているのはみっともないという感覚もあったようです。二十代前半くらいまでに結婚していないと、「色々と不都合があるのにどうして…」という目で見られてしまうことになります。 また結婚は勢力増大の強力な足がかりになりますから、女性の父親が有力者であることが望まれます。従って「モテる」女=父ちゃんすげえヤツ、ということになります。必然、決定権は女親の父親が握るようになっていきました。 まあ道長のように自分で相手を見繕って、その父親に直訴しに行くようなスーパーマンもいますけど。 「あの男を我が娘の婿とせよ」。公卿一族の結婚はこうして決められます。, 選ばれた時から、「通い婚」「招婿婚」が始まります。この時は婿の立場が強くなります。これはまだ仮初めの結婚形態と言えそうだからです。場合によっては「通わなくなる」「出て行く」こともありました。 従って恋愛のゴールと言いますか、2人(及び互いの両親)が安心できるようになるのは、住んでいる家を受け継いだり新居に引っ越すことで「2人の新生活」を始めたとき、と言えそうです。女性からするとスタートなのよ、と怒られてしまうかも知れませんが。 新居に身分が同程度の妻を複数おいてハーレム化するという事は、ほぼ無かったと言って良いでしょう。嫉妬の感情は当たり前にあり、感情の表出が禁じられていたわけでも無いのです。男性としても、わざわざ火種を囲い込む意味を見出せなかったはずです。 なお土地の「所有」は地券で証明するのが通例のようです。その辺りは現代とあまり変わりませんね。なお地券は特に男子が相続するもの、と決められていたわけでもありません。男子が生まれない場合もありますから、当たり前ですが。, さてこうして公私が安定すると、ようやく男は他の女に手を出し始めます。ここからが、物語的な「平安時代の恋愛」。垣間見とか和歌の贈答とか。これってようするに愛人探しなんですね。 他の貴族の娘に素敵な人がいると聞けば、和歌を書いて手紙とし、許されれば夜這いをかけ、気に入れば三日連続して通います。三日目には「露顕(ところあらわし)」という儀式を行なって、女の親や周囲の人物にその男の存在を示します。披露宴みたいなものです。「この方が我が娘のもとに通って来てくださっている!我々はそれを歓迎するぞ!」という宣言なのです。 ちなみにここで関係をもった女性は、いわゆる「妾(めかけ)」と考えるのが正しいようです。そこにメリットはあるのか?親は何を考えているんだ?と私は昔思いましたけども、そこは男の「公卿の一族」ブランドが効いているわけです。妾であろうと公卿または将来公卿になる人と縁ができる。そうなれば妾となった娘の兄弟の出世にも影響が出ようし、妾の子も官途が開けることとなり、自家の隆盛が可能性を帯びてくる。だから通ってくる男にとって2番目以降の女であっても、その女と一族にとっては歓迎すべきことだったんですね。 ま、本妻と離縁したり本妻が亡くなることもありますし、あわよくば正妻、という意識もあったでしょう。それに全部がそんなに丸く収まるケースでは無かったようですが。, さて、勢い盛んな家の男子たちはそうやって充実の人生を送っていきますが、そうでもない子らも、当然いるわけです。そうした子らはどういう人生を送っていくのか。 例えば政争に敗れた家の子らは官途が閉ざされます。するとそのまま自分の立場にしがみつくこともありますが、出家することも多かったようです。 またそもそもがパッとしない家柄に生まれた男の子は、独自に出家したり、または宮中なんかで職場恋愛した上で受領となって地方に行ったりします。比較的勝ち組な生き方としては、受領として富を蓄えた上で大貴族の家司(執事みたいなもんですね。宮中の仕事とは別に、副業としてやってます)となり、その間にその大貴族の一族の娘と職場恋愛しちゃったりして結婚までこぎつけて、何ていうパターンもあります。, さて、それなら女子はどういう生き方をしていたんでしょう? 女子は。一言で言えば、待つ存在です。 公卿の家の女子は、生まれた家で育てられ、帝のキサキとして入内させることが最大目標として設定されます。入内の代わりに勢い盛んな大貴族の子息を婿に迎えることもあります。これはもう、父親の意思が99%と言って良いでしょう。, 貴族とは言え4位、5位のパッとしない家柄の娘さんだと、何かの拍子に男がやってくるのをひたすら待つことになります。お父さんも頑張っているのでしょうが、何せパッとしませんからね。金銭的・血筋的に結婚するメリットが無いとなると、なかなか出会いが無い。 9世紀には五節舞姫として人前に姿をさらすこともありましたが、それも数多くは無い。公卿と縁が無いと選ばれることもない。そうすると、30を過ぎての結婚や、中には結婚せずに出家する例もあったようです。 もちろん結婚したものの離婚する場合や、死別することもありました。清少納言や紫式部、和泉式部などはそういう立場です。 出会いを求めて神や仏に祈りをささげに行く話しが説話集にはいくつもあり、実際そういうことがあったのだろうと考える人もいます。ロマンス的な問題ではなく、生きていく為、ですね。荘園が女性に紐付けられることもありますが、みながそうでは無い。身の回りを調えるにしろ毎日の生活をまわすにしろ、父や夫からの経済的援助が無ければ立ちゆかない女性が多数派でした。, こういう「受身の女」「待つ女」としての人生はなかなか辛いものがありますよね。そこで条件は決して緩くありませんが、パッとしない家柄の娘さんが「女房」としてお仕事をする人生、というのもありました。宮中や他の貴族の家に行き、そこの尊い女性の身の回りの世話をする仕事です。もちろん仕事をしますから、男性にも顔をさらします。すると確かに出会いは増えます。ですが大貴族たちに弄ばれるような可能性も無視できない程度にあったようです。意に沿わぬ妊娠・出産の場合には子を捨てることもあったようですし、男が認知した場合でも、子を奪われてしまうようなこともありました。要するに軽い立場だったんです。 こういう世界に自ら入っていくわけですから、女房という人生を女の生として軽んじる見方もあったようですね。貞女として親に養われ生きている女性たちからすれば、水商売でもやっているのと変わらない様に見えたのかもしれません。一方で清少納言などは、宮廷社会を知る女としての自負を持っていた様子でもありましたので、仮に水商売だったとしても「銀座の女」くらいの格はあったのでしょう。, さて、色々述べて来ましたが、そもそもの大前提を確認します。 この時代、良く人が死にます。風邪を引いては死に、出産しては死に、栄養が足りなくて死んでいきます。生まれて生きて、成長して成人して、結婚して子をなして、という流れに生命的に脱落せずについていくことそのものが、かなり大変なことだったのです。 ですから公卿さんたちがたくさん子どもを作っても、それで大貴族だらけになる、何ていうことはありませんでした。現代日本文化の基礎を作った「平安王朝」は、ひょっとするとイメージよりもずっとずっと小さな規模だったのかもしれません。 ま、藤原さんたちに追い出されて没落していった貴族達も、少なくはなかったようですが。, (主な参考資料)・池田亀鑑『平安朝の生活と文学』・川村裕子『王朝生活の基礎知識』・立石和弘『男が女を盗む話』・工藤重矩『源氏物語の結婚』・服藤早苗『平安朝の母と子』・服藤早苗『平安朝の女と男』・服藤 早苗『平安朝の父と子』・倉本一宏『藤原氏』, 日本が日本の古典文学を大切にする国であって欲しいと願う、田舎の古典教師(中・高)。国文学研究室出身(文学修士)。古典和歌及び『伊勢物語』、『方丈記』に関心を持ち、資料収集中。授業のキーワード:AL(グループワーク・創作・ディベート)/ICT/多読/音読/通読。.