出典:日本獣医師会  日本住血吸虫病(片山病)の終息と広島県の取り組み, 藤井好道は片山での奇病に関し、各地の同業に問い合わせするため記録を採った。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); Wikipediaの「秀逸な記事」にも選ばれている「地方病(日本住血吸虫症)」という項目が尋常ならざる面白さです。, 115年に及ぶ原因不明の奇病と人類の戦いを描いた一大ストーリーです。ドラマ化しても何らおかしくない。, 特定の村だけで頻発することはよく知られており、甲府盆地でも一部の村(例えば竜子と呼ばれる地域)だけが劇的な感染率でした。, 長きに渡る農民達の苦しみを受けて、1881年(明治14年)にいよいよ行政が重い腰を上げます。, 春日居村(現笛吹市)の戸長が、地方病の原因を解き明かすための嘆願書を提出しました。, 地方病の原因が全く分からない。水なのか?土なのか?それとも住民の体質が問題なのか?, 村人達の壮絶な叫びを詰め込んだこの嘆願書を受けて、数多くの医師が、地方病の原因解明に漕ぎ出します。, ちまちま患者の体を調べるのではなく、地方病で死んだ人の体を解剖するしかないと判断します。, 吉岡はこうして歯がゆい思いをし続けることになります。この時代、解剖をするのは本当に難しかったのです。, 山梨県で初めての解剖ということもあり、杉山なかの解剖には実に57名もの医師が参加した。, 地方病の研究を進めた一人の男は、この男「三神三郎」です。地方病についての討論会に出た彼は、見当違いの意見に潰されて、歯痒い思いをしていました。, こうして桂田と三神は、新種を発見して、地方病の原因が寄生虫であることを証明しました。, 有効な治療法が無いため、対策は自ずと「地方病にかからないための方法」になりました。, こうして、吉岡らによる実験はカワニナを用いて行われたが、なかなか上手くいかなかった。, ここに来て初めて、地方病撲滅の可能性が見えました。しかし、ことはそんなに簡単ではありません。, ミヤイリガイは繁殖力が極めて強く、1平方メートルに100匹はいたそうです。多すぎ!, 圧巻なのは2です。1956年から用水路のコンクリート化事業が開始され、なんと1985年までに100億円以上の資金を投じた超巨大事業になりました。, この尋常ではないミヤイリガイ撲滅政策の甲斐あって、ミヤイリガイの数は少しずつ減っていきました。, ミヤイリガイは絶滅こそしていないものの数を減らし、日本住血吸虫に感染している個体も一切見つからなくなりました。, こうして、「地方病は終息し安全である」と言える状態になり、平成8年に終息宣言が出されました。, 先般、山梨県地方病撲滅対策促進委員会から「本県における地方病は、現時点では既に流行は終息しており安全と考えられる。」との答申をいただいたことを受け、, また、国内の研究所や大学が、今でも日本住血吸虫の飼育を続けています。万一の再流行に備えてです。, こうして多くの研究者によって地方病のメカニズムが解明されましたが、「ミヤイリガイがなぜ甲府盆地などの一部の地域にしか生息していないのか」という謎が残っています。, この記事を読んでしっかり読みたくなった方は、地方病(日本住血吸虫症)をご覧ください。, 毎日面白いウィキペディア情報が届くTwitter:@shumipedia もフォローしてね!, シュミペディアMAGAZINEは、趣味としてのウィキペディアを楽しむためのメディアです。  野鳥保護団体は「渡り鳥の中継地として貴重」と反論し、同年4月に「臼井沼の開発について考えましょう」と題した、埋立て反対趣旨を書いたパンフレットを作成し田富町全戸に配布した。  非感染の動物を河川の水に浸し、実験動物の股の静脈からミラシジウムとは形態の異なる幼虫を発見した。 ミヤイリガイと姿が似ているカワニナですが、生息環境や成貝の大きさ、巻き数などが違います。 カワニナの水槽をよく見ると生まれたての小さな稚貝も沢山いるので、そこにも注目しながら観察していただけたらと思います。  人だけではなく,牛も馬も同じように何十頭も死んでいる。  これが片山記と呼ばれる文書で、日本住血吸虫症の臨床記録で原本は失われたが写本は残っている。  出典:筑後川流域宮入貝撲滅対策連絡協議会 「筑後川流域における日本住血吸虫病と宮入貝」, 宮入貝慰霊碑は、筑後川流域で最後に2個だけ発見された、久留米市宮ノ陣町宮瀬地先の、新宝満川と思案橋川の合流地点近くに建っている。, メールアドレスは公開されませんのでご安心ください。また、* が付いている欄は必須項目となりますので、必ずご記入をお願いします。.  何が原因か分からないので,全国の同業の医師に聞いて見たい」というものである。  校長先生の祖母が子供の頃、片山に遊びに行ったところ、家族から「あそこに行くと死ぬ様になる」と言われひどく叱られたと聞いたとの事であった。  これらの施策で湿地の埋め立てが徹底されて、福岡県久留米市の新福岡・佐賀両県は1990年に生息調査を行い、ミヤイリガイの撲滅を確認している。, ミヤイリガイの撲滅は間違いなく環境破壊であったことには間違いないが、公衆衛生上やむを得ない対応であった。, 一方で、宮入貝が直接人間を害するものではなく、心を痛めながら駆除作業を行う人達もいたであろう。, この地球上で生きる生物種の一つである「ミヤイリガイ」にとっては、日本住血吸虫の中間宿主であったがために、この筑後川流域での生息を否定され、さらには我々人間の手によって大規模かつ集中的な撲滅対策事業が実施されたことにより、当地域においては実質的にはほぼ「種として絶滅」に至らされている。  当時の田富町民が総決起大会を開き、「地方病撲滅のためには、ミヤイリガイ繁殖の温床となっている沼を埋め立てるしかない」と決議したためである。  昔はこの辺は海であった。  また、京都帝国大学医学部教授の藤浪鑑は、広島県の片山地区の水田で実験を行っている。藤浪や桂田の実験でいずれも経皮感染を示す結果であった。 日本住血吸虫症の中間宿主ミヤイリガイを発見した宮入慶之助(九州大学名誉教授)を顕彰する資料館です, 日本住血吸虫の中間宿主であるミヤイリガイは水陸両生の小巻貝で、湿地帯を好み、沼や小川や田の畦の水草などについていて、陸上にもはい上がってきます。水田の中はあまり棲息に適してはいません。“米粒のような大きさ”という表現が使用されることがありますが、成貝の殻は小さく卵形で、厚く堅く、長さは7mm位、径は2.5mm位の円錐形をしています。6月頃産卵し、卵からかえって、秋までに大きくなるのが一般的です。冬は草むらの根本やくぼみで越冬します。, ミヤイリガイの産卵には、常に湿潤である柔らかい泥土のところが特に必要となります。従って、水際から10cm以内のところが適当とされ、一日に多くて24個、産卵持続期間は50日位の産卵行動をおこないます。寿命は、2年乃至それ以上と推定されています。  この奇病が寄生虫症で有ることが判明し、感染経路の調査が始まる。それまでに発見された寄生虫は経口感染であったため、日本住血吸虫も経口感染が強く疑われた。  ラムサール条約の保護対象になる規模の湿地で、野鳥の生息地であり、渡り鳥の中継地としても知られていたが、埋め立てされてしまった。  先般、山梨県地方病撲滅対策促進委員会から「本県における地方病は、現時点では既に流行は収束しており、安全だと考えられる。」との答申をいただいたことを受け、ここに本県における地方病(日本住血吸虫病)の流行が収束したことを宣言いたします。  昨今は、我が国に限らず地球上の自然環境の適正な保全や動植物については生態系の多様性の確保などが強く訴えられ、「種の保存」活動が各地で行われる中でのミヤイリガイの絶滅行為である。  福岡・佐賀両県は1990年3月30日に、安全宣言記念式典が同時開催している。 日本住血吸虫症の中間宿主ミヤイリガイを発見した宮入慶之助(九州大学名誉教授)を顕彰する資料館です. ミヤイリガイそのものは我々に何ら悪行をするわけではないが、日本住血吸虫の中間宿主としてその生活環で重要な役割を担っていたが為にである。そのような意味から、本協議会が平成11 年度末で活動を終えるにあたり、筑後川流域において人為的に絶滅に至らされたミヤイリガイを供養したらとの話が上がった。  経皮感染することは判明したが、新たな疑問が発生する。 ミヤイリガイには、多くの原虫や線虫が寄生しています。その上、各種の吸虫のセルカリアが寄生し、日本住血吸虫のセルカリアだけでも、平均2000~3000匹も寄生しています。(『ミヤイリガイ』(飯島利彦著)より), ミヤイリガイの活動のための適温は、だいたい15~25℃といわれ、17~20℃では、活発に水から這い出てきます。柳や葦の幹に這い上ってくることが多く、コンクリートの側溝などは容易によじ登って乗り越えてしまいます。(『ミヤイリガイ』(飯島利彦著)より).